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第2部分

[日文]人间失格 作者 太宰治-第2部分

小说: [日文]人间失格 作者 太宰治 字数: 每页4000字

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は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。そこで考え出したのは、道化でした。それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサ籁%工扦筏俊W苑证献庸─雾暏椤⒆苑证渭易澶握撙郡沥藢潳筏皮丹ā⒈说趣嗓螭胜丝啶筏ⅳ蓼郡嗓螭适陇蚩激à粕皮い毪韦ⅳ蓼毪扦沥盲趣庖姷堡膜骸ⅳ郡坤饯恧筏ⅳ饯螝荬蓼氦丹丝挨à胧陇隼搐骸⒓趣说阑紊鲜证摔胜盲皮い蓼筏俊¥膜蓼辍⒆苑证稀ⅳい膜韦蓼摔浃椤⒁谎预獗镜堡问陇蜓预铯胜ぷ婴摔胜盲皮い郡韦扦埂¥饯雾暏巍⒓易澶郡沥纫痪wにうつした写真などを見ると、他の者たちは皆まじめな顔をしているのに、自分ひとり、必ず奇妙に顔をゆがめて笑っているのです。これもまた、自分の幼く悲しい道化の一種でした。また自分は、肉親たちに何か言われて、口応《くちごた》えした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂《へきれき》の如く強く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば万世一系の人間の「真理」とかいうものに摺い胜ぁ⒆苑证摔悉饯握胬恧蛐肖αΔ瑹oいのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。だから自分には、言い争いも自己弁解も出来ないのでした。人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい思い摺い颏筏皮い毪瑜Δ蕷荬筏评搐啤ⅳい膜猡饯喂膜螯aして受け、内心、狂うほどの恐怖を感じました。それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気持がするものでは無いかも知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、印钉筏贰筏瑜辘怫t《わに》よりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、何かの機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾《しっぽ》でピシッと腹の虻《あぶ》を打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正体を、怒りに依って暴露する様子を見て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦慄《せんりつ》を覚え、この本性もまた人間の生きて行く資格の一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分に絶望を感じるのでした。人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分の言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩《おうのう》は胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、自分が彼等の所謂「生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、自分は無だ、風だ、空《そら》だ、というような思いばかりが募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男や下女にまで、必死のお道化のサ籁%工颏筏郡韦扦埂W苑证舷膜恕⒃∫陇蜗陇顺啶っ椁违互ē咯‘を着て廊下を步き、家中の者を笑わせました。めったに笑わない長兄も、それを見て噴き出し、「それあ、葉ちゃん、似合わない」と、可愛くてたまらないような口眨茄预い蓼筏俊¥胜恕⒆苑证坤盲啤⒄嫦膜嗣椁违互ē咯‘を着て步くほど、いくら何でも、そんな、暑さ寒さを知らぬお変人ではありません。姉の脚絆《レギンス》を両腕にはめて、浴衣の袖口から覗かせ、以《もっ》てセエタ蜃扭皮い毪瑜Δ艘姢护堡皮い郡韦扦埂W苑证胃袱稀|京に用事の多いひとでしたので、上野の桜木町に別荘を持っていて、月の大半は枺─韦饯蝿e荘で暮していました。そうして帰る時には家族の者たち、また親戚《しんせき》の者たちにまで、実におびただしくお土産を買って来るのが、まあ、父の趣味みたいなものでした。いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集め、こんど帰る時には、どんなお土産がいいか、一人々々に笑いながら尋ね、それに対する子供たちの答をいちいち手帖《てちょう》に書きとめるのでした。父が、こんなに子供たちと親しくするのは、めずらしい事でした。「葉蔵は?」と聞かれて、自分は、口ごもってしまいました。何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんか無いんだという思いが、ちらと動くのです。と、同時に、人から与えられるものを、どんなに自分の好みに合わなくても、それを拒む事も出来ませんでした。イヤな事を、イヤと言えず、また、好きな事も、おずおずと盗むように、極めてにがく味《あじわ》い、そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。つまり、自分には、二者選一の力さえ無かったのです。これが、後年に到り、いよいよ自分の所謂「恥の多い生涯」の、重大な原因ともなる性癖の一つだったように思われます。自分が黙って、もじもじしているので、父はちょっと不機嫌な顔になり、「やはり、本か。浅草の仲店にお正月の游瑜い韦{子、子供がかぶって撸Г证韦摔鲜猪暏蚀螭丹韦瑝婴盲皮い郡堡伞⒂筏胜い褂筏胜いⅳ妊预铯欷毪取ⅳ猡Ε昆幛胜螭扦埂¥阑糠凳陇夂韦獬隼搐浃筏胜い螭扦埂¥阑壅撙稀⑼耆寺涞冥扦筏俊!副兢ⅳいい扦筏绀Α归L兄は、まじめな顔をして言いました。「そうか」父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、パチと手帖を椋Г袱蓼筏俊:韦趣いκ ⒆苑证细袱蚺椁护俊⒏袱螐妥墶钉栅筏澶Α筏稀ⅳ盲取ⅳ饯毪伽猡韦诉‘いない、いまのうちに何とかして取りかえしのつかぬものか、とその夜、蒲団の中でがたがた震えながら考え、そっと起きて客間に行き、父が先刻、手帖をしまい込んだ筈の机の引き出しをあけて、手帖を取り上げ、パラパラめくって、お土産の注文記入の個所を見つけ、手帖の鉛筆をなめて、シシマイ、と書いて寝ました。自分はその游瑜い韦{子を、ちっとも欲しくは無かったのです。かえって、本のほうがいいくらいでした。けれども、自分は、父がそのお婴蜃苑证速Iって与えたいのだという事に気がつき、父のその意向に迎合して、父の機嫌を直したいばかりに、深夜、客間に忍び込むという冒険を、敢えておかしたのでした。そうして、この自分の非常の手段は、果して思いどおりの大成功を以て報いられました。やがて、父は枺─閹ⅳ盲评搐啤⒛袱舜笊茄预盲皮い毪韦颉⒆苑证献庸┎课荬锹劋い皮い蓼筏俊!钢俚辘韦猡沥阄荬恰ⅳ长问痔蜷_いてみたら、これ、ここに、シシマイ、と書いてある。これは、私の字ではない。はてな? と首をかしげて、思い当りました。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私が聞いた時には、にやにやして黙っていたが、あとで、どうしてもお婴筏皮郡蓼椁胜胜盲郡螭坤汀:韦弧ⅳ嗓Δ狻ⅳⅳ欷稀浃盲糠恢鳏扦工椁汀V椁笳瘠辘筏啤ⅳ沥悚螭葧い皮い搿¥饯螭胜擞筏盲郡韦胜椤ⅳ饯ρ预à肖瑜い韦恕K饯稀ⅳ猡沥阄荬蔚晗趣切Δい蓼筏郡琛H~蔵を早くここへ呼びなさい」また一方、自分は、下男や下女たちを洋室に集めて、下男のひとりに滅茶苦茶《めちゃくちゃ》にピアノのキイをたたかせ、(田舎ではありましたが、その家には、たいていのものが、そろっていました)自分はその出鱈目《でたらめ》の曲に合せて、インデヤンの踊りを踊って見せて、皆を大笑いさせました。次兄は、フラッシュを焚《た》いて、自分のインデヤン踊りを撮影して、その写真が出来たのを見ると、自分の腰布(それは更紗《さらさ》の風呂敷でした)の合せ目から、小さいおチンポが見えていたので、これがまた家中の大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成功というべきものだったかも知れません。自分は毎月、新刊の少年雑誌を十冊以上も、とっていて、またその他《ほか》にも、さまざまの本を枺─槿·昙膜护泣aって読んでいましたので、メチャラクチャラ博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、たいへんな馴染《なじみ》で、また、怪談、講談、落語、江戸|小咄《こばなし》などの類にも、かなり通じていましたから、剽軽《ひょうきん》な事をまじめな顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を欠きませんでした。しかし、嗚呼《ああ》、学校!自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、甚《はなは》だ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」という状態の自分の定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、だまされた事に気づいた時、その時の人間たちの怒り、復讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りのからだで人力車に仱盲蒲¥匦肖⒀昴─卧囼Yを受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。からだ具合いのよい時でも、自分は、さっぱり勉強せず、学校へ行っても授業時間に漫画などを書き、休憩時間にはそれをクラスの者たちに説明して聞かせて、笑わせてやりました。また、綴り方には、滑稽噺《こっけいばなし》ばかり書き、先生から注意されても、しかし、自分は、やめませんでした。先生は、実はこっそり自分のその滑稽噺を楽しみにしている事を自分は、知っていたからでした。或る日、自分は、れいに依って、自分が母に連れられて上京の途中の汽車で、おしっこを客車の通路にある痰壺《たんつぼ》にしてしまった失敗談(しかし、その上京の時に、自分は痰壺と知らずにしたのではありませんでした。子供の無邪気をてらって、わざと、そうしたのでした)を、ことさらに悲しそうな筆致で書いて提出し、先生は、きっと笑うという自信がありましたので、職員室に引き揚げて行く先生のあとを、そっとつけて行きましたら、先生は、教室を出るとすぐ、自分のその綴り方を、他のクラスの者たちの綴り方の中から選び出し、廊下を步きながら読みはじめて、クスクス笑い、やがて職員室にはいって読み終えたのか、顔を真赤にして大声を挙げて笑い、他の先生に、さっそくそれを読ませているのを見とどけ、自分は、たいへん満足でした。お茶目。自分は、所謂お茶目に見られる事に成功しました

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