[日文]人间失格 作者 太宰治-第16部分
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るつもりは無い、これから、酒をやめて、からだを直して、勉強して、きっと偉い剑摔胜盲埔姢护搿¥い蓼笫陇胜趣长恧胜螭馈¥坤椁怠ⅳ汀ⅳ亭ぁ%工筏皮ⅳ菠瑜Δ拱陇丹螭闲Δこ訾贰ⅰ咐Г毪铯亭āV卸兢摔胜盲皮庵辘蓼护螭琛攻偿去偿趣人扇~杖の音をさせて、その薬品を棚から取り出し、「一箱は、あげられませんよ。すぐ使ってしまうのだもの。半分ね」「ケチだなあ、まあ、仕方が無いや」家へ帰って、すぐに一本、注射をします。「痛くないんですか?」ヨシ子は、おどおど自分にたずねます。「それあ痛いさ。でも、仕事の能率をあげるためには、いやでもこれをやらなければいけないんだ。僕はこの頃、とても元気だろう? さあ、仕事だ。仕事、仕事」とはしゃぐのです。深夜、薬屋の戸をたたいた事もありました。寝巻姿で、コトコト松葉杖をついて出て来た奥さんに、いきなり抱きついてキスして、泣く真似をしました。奥さんは、黙って自分に一箱、手渡しました。薬品もまた、焼酎同様、いや、それ以上に、いまわしく不潔なものだと、つくづく思い知った時には、既に自分は完全な中毒患者になっていました。真に、恥知らずの極《きわみ》でした。自分はその薬品を得たいばかりに、またも春画のコピイをはじめ、そうして、あの薬屋の不具の奥さんと文字どおりの醜関係をさえ結びました。死にたい、いっそ、死にたい、もう取返しがつかないんだ、どんな事をしても、何をしても、駄目になるだけなんだ、恥の上塗りをするだけなんだ、自転車で青葉の滝など、自分には望むべくも無いんだ、ただけがらわしい罪にあさましい罪が重なり、苦悩が増大し強烈になるだけなんだ、死にたい、死ななければならぬ、生きているのが罪の種なのだ、などと思いつめても、やっぱり、アパ趣人a屋の間を半狂乱の姿で往復しているばかりなのでした。いくら仕事をしても、薬の使用量もしたがってふえているので、薬代の借りがおそろしいほどの額にのぼり、奥さんは、自分の顔を見ると涙を浮べ、自分も涙を流しました。地獄。この地獄からのがれるための最後の手段、これが失敗したら、あとはもう首をくくるばかりだ、という神の存在を賭《か》けるほどの決意を以《もっ》て、自分は、故郷の父あてに長い手紙を書いて、自分の実情一さいを(女の事は、さすがに書けませんでしたが)告白する事にしました。しかし、結果は一そう悪く、待てど暮せど何の返事も無く、自分はその焦燥と不安のために、かえって薬の量をふやしてしまいました。今夜、十本、一気に注射し、そうして大川に飛び込もうと、ひそかに覚悟を極めたその日の午後、ヒラメが、悪魔の勘で嗅《か》ぎつけたみたいに、堀木を連れてあらわれました。「お前は、喀血したんだってな」堀木は、自分の前にあぐらをかいてそう言い、いままで見た事も無いくらいに優しく微笑《ほほえ》みました。その優しい微笑が、ありがたくて、うれしくて、自分はつい顔をそむけて涙を流しました。そうして彼のその優しい微笑一つで、自分は完全に打ち破られ、葬り去られてしまったのです。自分は自動車に仱护椁欷蓼筏俊¥趣摔朐氦筏胜堡欷肖胜椁獭ⅳⅳ趣献苑证郡沥摔蓼护胜丹ぁⅳ去谣楗幛狻ⅳ筏螭撙辘筏靠谡{で、(それは慈悲深いとでも形容したいほど、もの静かな口眨扦筏浚┳苑证摔工工帷⒆苑证弦庵兢馀卸悉夂韦鉄oい者の如く、ただメソメソ泣きながら唯々諾々と二人の言いつけに従うのでした。ヨシ子もいれて四人、自分たちは、ずいぶん永いこと自動車にゆられ、あたりが薄暗くなった頃、森の中の大きい病院の、玄関に到着しました。サナトリアムとばかり思っていました。自分は若い医師のいやに物やわらかな、鄭重《ていちょう》な圆欷蚴埭薄ⅳ饯欷橐綆煠稀ⅰ袱蓼ⅰⅳ筏肖椁长长蔷拆Bするんですね」と、まるで、はにかむように微笑して言い、ヒラメと堀木とヨシ子は、自分ひとりを置いて帰ることになりましたが、ヨシ子は着換の衣類をいれてある風呂敷包を自分に手渡し、それから黙って帯の間から注射器と使い残りのあの薬品を差し出しました。やはり、強精剤だとばかり思っていたのでしょうか。「いや、もう要らない」実に、珍らしい事でした。すすめられて、それを拒否したのは、自分のそれまでの生涯に於いて、その時ただ一度、といっても過言でないくらいなのです。自分の不幸は、拒否の能力の無い者の不幸でした。すすめられて拒否すると、相手の心にも自分の心にも、永遠に修繕し得ない白々しいひび割れが出来るような恐怖におびやかされているのでした。けれども、自分はその時、あれほど半狂乱になって求めていたモルヒネを、実に自然に拒否しました。ヨシ子の謂わば「神の如き無智」に撃たれたのでしょうか。自分は、あの瞬間、すでに中毒でなくなっていたのではないでしょうか。けれども、自分はそれからすぐに、あのはにかむような微笑をする若い医師に案内せられ、或る病棟にいれられて、ガチャンと鍵《かぎ》をおろされました。脳病院でした。女のいないところへ行くという、あのジア毪蝻嫟螭罆rの自分の愚かなうわごとが、まことに奇妙に実現せられたわけでした。その病棟には、男の狂人ばかりで、看護人も男でしたし、女はひとりもいませんでした。いまはもう自分は、罪人どころではなく、狂人でした。いいえ、断じて自分は狂ってなどいなかったのです。一瞬間といえども、狂った事は無いんです。けれども、ああ、狂人は、たいてい自分の事をそう言うものだそうです。つまり、この病院にいれられた者は気摺ぁⅳい欷椁欷胜盲空撙稀ⅴ惟‘マルという事になるようです。神に問う。無抵抗は罪なりや?堀木のあの不思議な美しい微笑に自分は泣き、判断も抵抗も忘れて自動車に仱辍ⅳ饯Δ筏皮长长诉Bれて来られて、狂人という事になりました。いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや、癈人《はいじん》という刻印を額に打たれる事でしょう。人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。ここへ来たのは初夏の頃で、鉄の格子の窓から病院の庭の小さい池に紅《あか》い睡蓮の花が咲いているのが見えましたが、それから三つき経ち、庭にコスモスが咲きはじめ、思いがけなく故郷の長兄が、ヒラメを連れて自分を引き取りにやって来て、父が先月末に胃潰瘍《いかいよう》でなくなったこと、自分たちはもうお前の過去は問わぬ、生活の心配もかけないつもり、何もしなくていい、その代り、いろいろ未練もあるだろうがすぐに枺─殡xれて、田舎で療養生活をはじめてくれ、お前が枺─扦筏扦筏渴陇吾崾四─稀ⅳ坤い郡i田がやってくれた筈だから、それは気にしないでいい、とれいの生真面目な緊張したような口眨茄预Δ韦扦筏俊9枢_の山河が眼前に見えるような気がして来て、自分は幽かにうなずきました。まさに癈人。父が死んだ事を知ってから、自分はいよいよ腑抜《ふぬ》けたようになりました。父が、もういない、自分の胸中から一刻も離れなかったあの懐しくおそろしい存在が、もういない、自分の苦悩の壺がからっぽになったような気がしました。自分の苦悩の壺がやけに重かったのも、あの父のせいだったのではなかろうかとさえ思われました。まるで、張合いが抜けました。苦悩する能力をさえ失いました。長兄は自分に対する約束を正確に実行してくれました。自分の生れて育った町から汽車で四、五時間、南下したところに、枺堡摔险浃椁筏い郅膳ず^xの温泉地があって、その村はずれの、間数は五つもあるのですが、かなり古い家らしく壁は剥《は》げ落ち、柱は虫に食われ、ほとんど修理の仕様も無いほどの茅屋《ぼうおく》を買いとって自分に与え、六十に近いひどい赤毛の醜い女中をひとり附けてくれました。それから三年と少し経ち、自分はその間にそのテツという老女中に数度へんな犯され方をして、時たま夫婦|喧嘩《げんか》みたいな事をはじめ、胸の病気のほうは一進一退、痩せたりふとったり、血痰《けったん》が出たり、きのう、テツにカルモチンを買っておいで、と言って、村の薬屋にお使いにやったら、いつもの箱と摺π韦蜗浃违毳猊隶螭蛸Iって来て、べつに自分も気にとめず、寝る前に十錠のんでも一向に眠くならないので、おかしいなと思っているうちに、おなかの具合がへんになり急いで便所へ行ったら猛烈な下痢で、しかも、それから引続き三度も便所にかよったのでした。不審に堪えず、薬の箱をよく見ると、それはヘノモチンという下剤でした。自分は仰向けに寝て、おなかに湯たんぽを載せながら、テツにこごとを言ってやろうと思いました。「これは、お前、カルモチンじゃない。ヘノモチン、という」と言いかけて、うふふふと笑ってしまいました。「癈人」は、どうやらこれは、喜劇名詞のようです。眠ろうとして下剤を飲み、しかも、その下剤の名前は、ヘノモチン。いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理[#「真理」に傍点]らしく思われたのは、それだけでした。ただ、一さいは過ぎて行きます。自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。[#改頁]
あとがき
この手記を書き綴った狂人を、私は、直接には知らない。けれども、この手記に出て来る京橋のスタンド.バアのマダムともおぼしき人物を、私はちょっと知っているのである。小柄で、顔色のよくない、眼が細く吊《つ》り上っていて、鼻の高い、美人というよりは、美青年といったほうがいいくらいの固い感じのひとであった。この手記には、どうやら、昭和五、六、七年、あの頃の枺─物L景がおもに写されているように思われるが、私が、その京橋のスタンド.バアに、友人に連れられて二、三度、立ち寄り、ハイボ毪胜娠嫟螭坤韦稀ⅳ欷い稳毡兢巍杠姴俊工饯恧饯砺豆扦摔ⅳ肖欷悉袱幛空押褪昵搬幛问陇扦ⅳ盲郡椤ⅳ长问钟洡驎い磕肖摔稀ⅳ幛摔胧陇隼搐胜盲郡铯堡扦ⅳ搿H护毪恕ⅳ长趣筏味隆⑺饯锨~県船橋市に疎開している或る友人をたずねた。その友人は、私の大学時代の謂わば学友で、いまは某女子大の講師をしているのであるが、実は私はこの友人に私の身内の者の縁談を依頼していたので、その用事もあり、かたがた何か新鮮な海産物でも仕入れて私の家の者たちに食わせてやろうと思い、リュックサックを背負って船橋市へ出かけて行ったのである。船橋市は、泥海に臨んだかなり大きいまちであった。新住民たるその友人の家は、その土地の人に所番地を告げてたずねても、なかなかわからないのである。寒い上に、リュックサックを背負った肩が痛くなり、私はレコ嗓翁崆伽我簸摔窑欷啤⒒颏雴瞬璧辘违丧ⅳ蜓氦筏俊¥饯长违蕙昆啶艘娨櫎àⅳ辍ⅳ郡氦亭皮撙郡椤ⅳ蓼丹恕⑹昵挨韦ⅳ尉颏涡·丹ぅ啸ⅳ违蕙昆啶扦ⅳ盲俊%蕙昆啶狻⑺饯颏工挨怂激こ訾筏皮欷繕斪婴恰⒒イい舜篝卖摹钉菠怠筏梭@き、笑い、それからこんな時のおきまりの、れいの、空襲で焼け出されたお互いの経験を問われもせぬのに、いかにも自慢らしく語り合い、「あなたは、しかし、かわらない」「いいえ、もうお婆さん。からだが、がたぴしです。あなたこそ、お若いわ」「とんでもない、子供がもう三人もあるんだよ。きょうはそいつらのために買い出